日本のお酒の始まりはいつから?
NEXT >>私たちが、いつも飲んでいるお酒ですが、一体いつから 日本でお酒が飲まれる様になったのでしょうか?
スサノオのお酒は果実酒?
日本のお酒の歴史が出てくる文献といえば、古事記にて須佐之男命が八岐大蛇を
退治する際に、「八塩折の酒(やしおりのさけ)」を八岐大蛇に飲ませて
酔っぱらったと八岐大蛇を退治したという記述が有名ですよね?
しかし、この「八塩折の酒(やしおりのさけ)」というのが、「衆果(あまたこのみ)をもって酒八かめを醸せ」
という記述にもあるように、お米ではなくて衆果(あまたこのみ)という記述のように色々な果実で造られたお酒の
ようで、いわゆる日本酒ではなく、果実酒の類であったようです。
魏志倭人伝での日本のお酒
古事記より、時代を遡るのが日本の書物では困難であるため、お隣、中国の歴史書にお酒のルーツを 探ってみますと、魏志倭人伝にお酒の記述がありました。
- 『其會同坐起 父子男女無別 人性嗜酒』
- 現代語訳:「その会合での立ち居振る舞いに、父子や男女の区別はない。人は酒を好む性質がある。」
という記述がありました。
また、
- 『 其死有棺無槨 封土作冢 始死停喪十餘日 當時不食肉 喪主哭泣 他人就歌舞飲酒 已葬 挙家詣水中澡浴 以如練沐 』
- 現代語訳:「人が死ぬと、棺に収めるが、槨はない。 土で封じて盛った墓を作る。始め、死んでから停喪する期間は十余日。 その当時は肉を食べず、喪主は泣き叫び、他人は歌い踊って酒を飲む。埋葬が終わると 一家そろって水の中に入り、洗ったり浴びたりするが、 それは(一周忌に白い絹の喪服を着て沐浴する)中国の練沐のようなものである。」
という記述がありました。
どうやら倭人伝によると、この時代の人々もお酒を嗜んでおり、お葬式の通夜の席でもお酒を飲んでいた様なので 現在のお葬式に通じるものがありますね。
お酒の歴史は縄文時代から?
さらに、歴史を遡ると記述が曖昧なものが多い様なのでそちらの検証は次回にするとして、 さらに歴史を遡る為、歴史書ではなく考古学的な観点ではどうなのか調べてみると、 縄文時代に遡るようです。
狩猟採集民とされてきた以前の歴史の観点では否定されてきた、縄文時代でのお酒のですが、
現在では縄文時代時代でのお酒を飲んでいた可能性が、かなり高くなっているようです。
というのもおよそ6千年も前といわれる青森県の三内丸山遺跡で、クリやクルミが出土しており、イモ類や山菜も利用されたと考えられるほか、 マメ類やヒョウタンなども栽培されていたことがわかっています。
従来、縄文時代は栽培などは行われていないといわれていましたが、この三内丸山遺跡での
発見により縄文時代にも植物の栽培が行われていた事がわかってきました。
そして、肝心のお酒に関してなのですが、果実や種子だけからなる厚さ5㎝の密集層が見つかりました。
ニワトコが大半を占めてましたが、ヤマブドウも含まれていました。
こちらの果実や種子は絞りカスと見られる状態で発掘されており、 それと一緒に大量のショウジョウバエの遺体が見つかったので発酵した果汁に ハエが集ったものだと考えられた事により、酒造りの証拠だとされて山ぶどうを使った「縄文ワイン」などとも呼ばれています。
お米を使ったいわゆる「日本酒」ではないですが、日本でのお酒の歴史は少なくとも6000年近く遡る
ようです。
関連する記事
- 中国の歴史書における日本のお酒
- 日本人はいつからお酒を飲んでいるのかを中国の文献で日本人とお酒に 関する記述から考察してみました。
- 季節と日本酒
- 食に旬があるように、日本酒にも旬な日本酒があります。 お酒があるのを知っていますか?